「魂の退社」稲垣えみ子(著)と「モモ」ミヒャエル・エンデ(著)

新聞や雑誌のコラム、テレビ、ラジオなどで紹介された本で気になるものがあると、携帯にちょいちょいとメモ、
ちょっと時間ができた時に予約したり、図書館に行った時に探してみたりするのが小さな楽しみのひとつです。

先週、ずいぶん前に予約してあった稲垣えみ子(著)「魂の退社 - 会社を辞めるということ。」届いたと連絡があり、
ついでに、積読リストにメモしてあったミヒャエル・エンデ(著)「モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を
人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」も一緒に借りて読んでみました。

この二冊の本を同じタイミングで読んだのは偶然とは思えないほど。
電通の過労死問題、委託先工場で起きたメンチカツのO157事件、アメリカ大統領選と
一見繋がりはないようなことですが、深い要因はここにあるのかも、、、と
モヤッとした気持ちをスッキリ言葉に表してもらえた心地よい読後感です。

「お金」より大切なものは「時間」と「自由」と自らの退職顛末記を通して描く『稲垣えみ子さん』、
時間どろぼうから盗まれた時間を人間に返してくれた不思議な少女『モモ』。

この二人が重なって、読んでいるうちに、稲垣えみ子さんが現代版モモのような気がしてしまいました。
モモのボサボサ頭とアフロが似ているからではないと思いますが・・・・(笑)。

モモの物語では、時間貯蓄銀行の外交員たちが、言葉巧みに、貧しいながらも、ゆとりある日常をおくる
町の人々に時間を節約することで、どれほどお金が潤い、生活が豊かになるかを説き、時間をどんどん奪っていく。
人々はそれが得になると信じ、やっきになって時間を節約するけれど、実際は忙しさで生活は荒廃していくのです。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。
じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることをだれひとり認めようとはしませんでした。

でも、それをはっきりと感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもと遊んでくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。


けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは人間の心の中にあるものなのです。


人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。

(「モモ」第6章インチキで人をまるめこむ計算 より)
 
エンデがこの物語を書いたのは1973年。
40年後の今も、この童話の言葉が響くのは、世の中がどんなに便利になっても、快適になっても、
人の内面、心や気持ちといった点では、原始時代からそれほど変わらないのかもしれないから。
泣きたいほど感動すること、嬉しいこと、悲しいことはどんな時代も同じなんだと思います。

人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならないからだよ。
だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。

~中略~

光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。
               (「モモ」第12章モモ、時間の国につく より)


「時間」と「心」と「生活」、どれも頭ではわかっていても実態を捉えるのは難しい。
でも、使い方を間違えるとバランスを崩し、健康を害するほどの大きな影響があるのは確か。

二冊の本を読み終えて、気をつけようと強く感じたのはこのふたつ。
時間どろぼうに遭わないようにするのも大事、
でも、自分が時間どろぼうにならないことも大事。

人よりもちょっと得をしたい、便利でいたい、楽をしていたい、そんな既得権を守ろうとする些細な欲望が、
実は他人の時間を奪っていることもある。

今日注文した商品が翌日には届くこと、コスパ、コスパと声高に騒いで安くて良い品を求めること、
24時間いつでも物が買えるようにすることが、その裏側では人件費を叩いたり、長時間労働を強いたり
していることに繋がっている可能性もある。

結局のところ、生活の忙しさの原因は、わたしたちのちょっと余分な欲望なんだと、
稲垣えみ子さんが著書で説いていることは本当にその通りだなと感じます。

習い事に受験勉強、仕事や家事、育児に介護にと、人生のステージはそれぞれに目まぐるしい。
でも、それが他人に強制されたものだと、気持ちはずんずん冷え込んでしまうから、
自分の時間の手綱は自分で持つ。
自分なりに時間をコントロールできるよう、生活を工夫してみる。
もしかしたら、忙しさの原因のひとつを手放すことで自由になる時間もあるかもしれない。
稲垣えみ子さんにとって、究極の手放しが「退社」というのがすごいんだけど。圧巻です。


現代人は、ものを手に入れることによって豊かさを手に入れようとしてきました。
しかし繰り返しますが、「あったら便利」は案外すぐ「なければ不便」に転化します。
そしていつの間にか「なければやっていけない」ものがどんどん増えていく。
それは例えて言えば、たくさんのチューブにつながれて生きる重病人のようなものです。
私の節電は、いわばそのチューブを一つずつ抜いていく行為でした。
えいっと勢いで抜いたものもあれば、恐る恐る抜いてみたものもありました。
しかしいずれにせよ、ほとんどのものが抜いてもどうってことはなかったのです。
「なくてもやっていける」ことを知ること、そういう自分を作ることが本当の自由だったんじゃないか。
この発見が私に与えた衝撃は、実に大きかったのです。
(「魂の退社」稲垣えみこ著 より)
 

自分のために、そして大切な誰かのために費やしたり、一緒に過ごす時間はかけがえのないもので、
心や生活をぽっと温めてくれるもの。
それが、他人から見たら無駄なことに見えたとしても。
それが経済活動としては何の役にたたなくても。

自分の時間を、自分のためだけにゆっくりと使ってみると、今、何がいちばん大事だったのか、
自分がしたかったことは何だったのか、とってもポジティブに考えられるようになります。
気持ちがポジティブになると、周りにもちょっと優しくなれる自分に気づきます。
そんな自分にまた元気が湧いてくる。

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