平和でなければ、旅行はできない ~林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里~

2月下旬の南インドのシヴァナンダアシュラム、気温があっという間に30℃を超えていく昼下がり、日かげを求めて部屋のベッドに寝ころび、この本を読んでいたのがもうずいぶん遠い昔のことのよう。

『平和でなければ、旅行はできない。第二次世界大戦に流れ込もうとする時代に、林芙美子はそのことを身をもって示したといえる。』
〔立松和平(編) 林芙美子紀行集『下駄で歩いた巴里』あとがきより〕

当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなった時、平穏な日常がどれだけ大切なのかに気づかされる。
シヴァナンダアシュラム@マドゥライ
レッスンがお休みになった今、外出はままならないけど、
時の流れはこの時と同じくらいのんびりしている
Just Relax!
立松和平に言わせれば、林芙美子こそ「元祖バックパッカー」。
彼女が小説「放浪記」の原稿料を元手に、シベリア鉄道に乗りヨーロッパを目指したのは昭和6年(1931年)。
世界は再び戦争に向かい情勢不安が高まりつつある時代というからまず驚く。
さらには、その旅の様相が
うら若き女が一人トランクを提げ、帰りの旅費はもとよりたいした金も持たず、日の暮れたところがその日の宿だという無鉄砲な旅をするのである」と書かれていて、さらにびっくりする。

こんなにも強く、たくましく、走りぬいた女性がいたなんて。

「放浪記」はその時代、売れに売れたというから、もっと優雅な旅ができるくらい原稿料は入ったであろうに、
バックパッカーとはなぜ??と思っていると、「文学・旅・その他」(p.284)にこんなくだりがある。
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家を建てる事や蓄財は厭だけれども、旅を思うぞんぶんにしたいし、
家のものたちに米みその心配だけはさせたくないと考えている。
やっと借金も済んだ。
いい仕事といい旅と、これは私のあこがれである。
インドにも行きたい。支那にも行きたい。仏蘭西は勿論のことだ。
異郷にあっての郷愁は死ぬほど愉しい。
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小説を書き続け、家族を養うことは苦しくても、養われるなんてまっぴらごめん!という潔さが、
この部分だけでなく本のそこかしこから滲み出ていました。

下駄で歩いた・・・と題名にもあるように、林芙美子の紀行は、素顔のまま、普段どおり、まったく気負いがない。
旅の途中であった人、興味を持った場所や風景、買ったもの、食べたもの、
そして何よりも、宿で時間を持て余したり、仕事のことを思ったり、うつろいゆく自分の気持ちにも
まっすぐの描写がとにかくすごい。
「見るべきものを見て、書くべきものは書く」と解説にあるとおり。

比べるのもおこがましいけれど、大名旅行と言われても仕方がない甘ったれの自分の旅を思わず反省したくなる。
でも、また、本を持って、旅に出たくなる。
もっとたくましく、もっと積極的に、もっと自由に。
旅に出られるようになる、その日まで、今はじっくりと自分を鍛えるチャンスかもしれない。

悩みに悩んで南インド旅に持って行った本は、この本のほか、
開高健(著)「地球はグラスのふちを回る」
杉浦日向子(著)「一日江戸人」
漫画家で江戸研究家の故 杉浦日向子さんの本は、旅は世界をめぐるだけじゃなく、
時間旅行も同じくらい楽しいなぁと思えた一冊でした。
This is India!! なオフショット
牛とリキシャとバイクとブーゲンビリア、そして愛すべき旅友のRie先生

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