ヨガは静かに過ごすことの練習
8月はじめ、わたしが毎週練習に通っているシャラでWSがありました。
身体を労わり、脳や神経を休息に促すために、
思えば、ざわついてはいたけれど、まだまん延防止も出ていない嵐の前の静けさのような時でした。
このひと月の間、練習中も、暮らしの中でも、ずっと心に響いているのが、
『ヨガは静かに過ごすことの練習、実践』であるという先生の言葉。便利さを求めるあまりに、かえって機能が煩雑になったり、せっかく空いた時間には用事を詰め込んだり、詰め込まれたりとなんだかんだと忙しい毎日。
心静かに過ごす時間って意外と少ない。
加えて、コロナ禍でウイルスに感染しないよう気をつけるだけでもじゅうぶんなストレスなのに、毎日、毎日「感染者数〇〇〇人」、過去最高ならまだしも!?「〇曜日にしては最高」とか「先週と比べて〇〇人増」とか、どこまでも緊張や疲労感を強いる報道。
外出を控えるよう要請されながらも、オリンピックで世界中から競技者がやってきたり、ふだんと変わらない賑わいを見せる街や観光地の映像は《矛盾》という感情を掻き立て、気持ち穏やかではいさせてくれない。
「心の省エネ」と以前にもブログに書いたことがありますが、
気持ちが疲れていると感情的になったり、頭の中の堂々巡りのようなおしゃべりが止まらなくなったりと、時間もエネルギーも浪費してしまいがち。
ほんの少しだけでもヨガで静かに過ごす時間を作りましょう。
負のループに入り込んだり、思考が止まらない時には、
バランスのポーズや太陽礼拝のようなリズミカルな動きが効果的です。
何かに没頭しているとき、思考は一点に集中され、呼吸が止まっているかのように鎮まるので、アドバンスなアサナ(ポーズ)にトライしたり、普段あきらめてしまうところでもう一歩粘ってみたりするのもおすすめです。
先週は90分クラスでシルシアーサナ(ヘッドスタンディング)、60分クラスではガルダーサナ(鷲のポーズ:片足バランス)に取り組む時間を作りましたが、没頭できたでしょうか?
身体の巡りが良くなり、呼吸が深く全身、脳まで届くようになると、静かに坐って瞑想することもいくぶん容易になります。
自分が今どんな状態で、何をすべきかも建設的に考えられるようになります。
作家の略歴を見たら、大好きな映画の原作者さんでした! 『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』 『100歳の少年と12通の手紙』 30年以上ぶりに再開したピアノの練習は、いろんな意味で私を無言の境地に・・・(笑) |
今、手元にあって読み進めるのが惜しいくらい素敵な物語『マダム・ピリンスカとショパンの秘密』(エリック₌エマニュエル・シュミット著)にもこんな描写がありました。
前のめりにピアノの腕を上達させたい主人公に、先生があえて弾かせず、最初に課した要求がこんなコト。
●静寂を聴くこと
●朝露を落とさないように花を摘むこと
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しかし都心に静寂など存在するわけもなく、ぼくは雑音を避けて、学校の奥の地下室へと降りていった。そこでぼくは気づいた。ようやく周囲が静かになると、今度は自分の体が、お腹はごろごろ、鼻はひゅうひゅう、骨はぽきぽき、息はすうすう、おしゃべりを始めることに。悔しくなり、こんなペテンを本気にするものかと思う一方で、ぼくは自分の感覚が研ぎ澄まされ、指は正確さを増し、手首とひじが柔軟になっていることも認めていた。
(マダム・ピリンスカとショパンの秘密 p.27より)
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自分を調え、日常に溢れている無数の幸せや美しさを感じ取る心が働けば、どんな困難な状況のときも、思い通りにならないときも、ほんの少し前を向くことができる。
嘆いても、憂いても、何も変わらないのなら、
遠ざけるべきものは遠ざけ、楽しむべきことは楽しみましょう。
心の省エネについて
変えようがない過去のことや、まだ起きてもいない未来のことに、無駄な時間や頭や心のエネルギーを費やすのではなく、『今、目の前にあることにひたすら集中して、ひとつひとつ丁寧にこなすこと』。 今を大事にすれば、結果として未来につながって、今に活かせる過去も創られていく