考えすぎるアタマを休める
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
今年の桜、ほんと、この歌を詠んだ業平さんの気持ちのようになった方、多かったんじゃないですかね。
千年の時を経ても、人の心は変わらず。
タイミングあわず、花見らしい花見をすることはなかったわたしですが、今朝、廃品回収に近くの公民館に行ったら広場が桜吹雪!
舞い散る花びらに、ああやっぱりサクラいいなぁ!と朝から嬉しくなっちゃいました。
翻弄されても、日本の春はやっぱりサクラがないとね。
でも、業平さんも官職でまぁまぁお忙しかったと思うけれど、現代に比べたらゆったり、はんなりとお暮らしになっていたはずで、桜を眺めながら、和歌を詠み、酒を飲み、日がな一日のんびり過ごしていたのかも・・
ふと思ったんですが、この歌の〈桜〉をスマホ、〈春〉を人に置き換えると、なんだかぴったりしません??
世の中にたえて〈スマホ〉のなかりせば〈人〉の心はのどけからまし
なんてね、業平さんに叱られそう!?
静岡市民の森の高山の一本桜 来週まで見ごろなんだそうですよ、行っちゃおうかな😊 |
スマホは便利だし、いまや生活に欠かせないものだけれど、
うっかりすると、時間も、思考もごっそりと奪われます(;゚Д゚)
情報過多な日々を快適に暮らすコツは
- いかに疲れないようにするか
- 疲れたら回復するような手段をもっているか
- 多少の疲れは感じないほどに体力はあるか
そのためのひとつの方法は
〈思考:アタマ〉を休める時間をつくること。
でも、「はいストップ!」と言って頭の中のおしゃべりや考えごとがパタッと鎮まるかというと、それもなかなか難しい。
電気製品のようにスイッチオフができたら良いんですけどね。
ヨガのレッスンではじめとおわりに、お寺の半鐘の音と同じ聖音ॐ oṃ を唱えるのは、
〈場を清め、邪気を払い、魔を寄せつけない〉ためのものであり、
また、スイッチがない人間の体だから、スイッチになるきっかけを自分で作る効果も。
スイッチをいれたら、そこからは深い呼吸とともに、体をすみずみまでまんべんなくマッサージするようにたっぷり動きます。
頭と体は繋がっていて、体の調子が悪いと、どうしても思考もネガティブな方に引っ張られやすくなるから、なるべく快適な状態にすることで、自分のコンディションに満足する。
これを習慣にしていくと、忙しい時は一日5分でも、坐して目を閉じ、深いゆったりとした呼吸を繰り返すだけでも〈思考〉は休まるようになってきます。
わたしは超多忙だったころ、通勤電車の中で〈片鼻呼吸法〉していたこともありました(←変人!?)
でも、いろいろ考えてみれば、
生まれて、そして死ぬ瞬間までやれる唯一の行動は、
誰もが等しく〈呼吸〉だけなんですよね。
〈呼吸〉にもう少し意識向けてみませんか?
『迷子の魂』オルガ・トカルチュク (文) ヨアンナ・コンセホ(絵) 小椋 彩(訳)
〈思考〉は湖の水の波紋のようなもので、水面が荒れていると湖の底を見ることはできませんが、水の動きを止めることで湖の底を見ることが出来ます。同じように、人の心の水面も、考えごとでいっぱいのときはさざ波のように揺れ〈自分が本当にやりたいこと〉〈好きなコト〉〈どう生きたいのか〉〈どう暮らしたいのか〉といった健やかで幸せな〈自分自身〉が見えづらくなります。
〈再起動〉してますか?
使わないアプリを消したり、余分なファイルを削除したりと整理整頓して、再起動すると動きが良くなるように、 身体も心も同じこと。溜め込んだストレス、食べ物、やらなければならないコト、背負いこんだものを、〈ヨガの練習〉でいったん整理整頓&再起動すると一日のパフォーマンスが違ってきます