Practice, practice, practice...one day coming.(映画)「聖なる呼吸」より

8月、そしてようやくの梅雨明け。
朝、目を覚まして、窓から差し込む、眩しいほどの太陽光を浴びるだけでうれしい気分。
「人の心は深くて、そして不思議なほど浅いのかもしれない」と本当に実感します。

旅に出られないことはもう仕方がないとしても、
山歩きも、ジョギングもままならないこの長雨には、さすがにまいりました。
ただ救いは、ヨガの練習はお天気にも左右されないし、特別な道具も、場所も、時間も選ばないので
日常の一部になるくらい長く続けてきて良かったなぁとしみじみ。

今日は一年に一回の健康診断で、血液や尿などの数値は後日ですが、
二度の出産でびっくりするほど増えた体重は、今や20代前半のころとほぼ同じ数値に戻り、
腹囲も年々減っていて、看護師さんにも褒められ、ヨガ万歳!と心の中でガッツポーズ。

異常気象に、コロナにと、こんなピンチの時に意外とお役立ちのヨガ、
始めるのに遅いということはありません。
この映画にもあるように、ただ練習をコツコツと続けるだけ。 
長雨中、ひとりの時間を見つけては、映画や海外ドラマをこらしょと観ていました。
その中の一本がこの『聖なる呼吸』
4年程前に浜松のシネマイーラで観たときとは、また違う発見があり、ヨガの奥深さに気づきました。

この映画の良さは、ヨガ初心者で身体の硬いドイツ人の映画監督自らがインドのヨガ道場に
取材兼修行におもむき、アーサナ習得に向け修行しながら、疑問を解いていくところ。
ヨガを練習する側の目線で話が進むので、ヨガってなんだろう?
なんで心と身体に良いんだろう?という疑問がスルスルと解けていきます。

例えば、監督が疑問を投げかけるシーンのひとつに、
山登りやジョギング中に幸福感が得られたり、アイデアが浮かんだりして、脳が活性化するように、
ヨガでも、同じような感覚になると話す場面があります。
その回答は「賢者パタンジャリ曰く、ヨガとは心の動きを滅すること」だと言い、
理由はヨガをすると心が落ち着き、意識がクリアになっていくからだと。

また別のシーンでは、パドマ・アーサナ(あぐら坐)の習得を目指しながらも、
なかなかできそうもない監督に、亡きパタビジョイス師がかけた言葉は、
まるで自分に言ってくれているように勇気づけられます。

Practicepracticepractice...one day coming.
日々練習を続けたら、できるようになりますよ。

ハタ・ヨーガ・プラディーピカーに書かれているように、
若い人、老いた人、はなはだ老いた人、あるいは病人、あるいは虚弱な人もまた、
日々ヨガ練習を重ねれば成功するその日は来るのだと。

ハタ・ヨーガ・プラディーピカーは、16世紀に編纂されたヨガの教典のひとつで、
ここで引用されている一章最終節は、読むとよし練習しよう!と気持ちがシャキッとします。

この映画を観ると、こんなポーズできるかいな!?というアーサナもたくさん見られます。
でも、それはクリシュナマチャリア師が藩王に請われて王族を指導した時代は、英国との戦時下に
置かれ、戦闘のために身体を鍛える必要があったインドの特殊な歴史背景があることもよくわかります。

振り返って、今、わたしたちが置かれた時代に必要なヨガってなんでしょうね。
情報が多すぎると考えすぎてしまうし、考えすぎるとパンクして思考停止に陥ることも。
そんなときは、身体を動かすこと、身体を使うことがいちばん効きます。
一歩踏み出して、そして日々練習を重ねて、ヨガだけではなく、
自分に必要なもの、手放すべき不要なものが何か?に気づいていきましょ。
マット一枚という小さなスペースから、まるで旅するように広がる世界に驚きますよ。


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