『英国一家、インドで危機一髪』マイケル・ブース(著)

ヨガに関する書籍は巷にたくさんあふれていますが、
「英国一家、インドで危機一髪」はインドやヨガとは無縁だと思っている方はもちろんのこと、
すでに”No Yoga, No Life”の方まで幅広く、ヨガの効能やインド文化の奥深さを知ることができる
エッセイでとてもおススメです。


翻訳者の寺西のぶ子さんのあとがきにもあるように、宗教やスピリチュアルなものを毛嫌いし、
ちょっとバカにしながら生きてきたといっても過言ではない40代目前の中年の危機にある男性作家
マイケル・ブースが、なんとかアルコール依存や軽いうつ状態から脱してもらいたいと願う奥さんの
作戦に乗せられて、インドでヨガ修行をせざるを得なくなります。

美食を追求し、たいした運動もしてこなかった著者には、はじめはただの苦行でしかなかったヨガも、
知らず知らずのうちに身体や心に変化が少しずつ現れ、無為にドボンとはまるのではなく、
冷静に、客観的に見て書いているので、押しつけがましくもなく、とてもわかりやすいのです。

ヨーガの副作用はいくつかあって、そのすべてが、たちが悪いというわけではない。・・・
(中略)・・・生まれて初めて食欲が自然になくなった。・・・(中略)・・・吐き気がするわけでもなく、食べれないわけでもなく、ただ食べる必要を感じなかったのだ。それでもエネルギーは満ちていたー本当に、これまでにないほどーそれに、慢性の筋肉痛と、ヨーガのレッスン直後の二時間は消耗し切ってしまうのを除けば、爽快な気分だった。

「あなたは、これまで食べ物からエネルギーを摂っていましたが、今ではアーサナとプラーナヤーマからエネルギーを得るようになったのです」ヴィネイはそう説明してくれた。でも、どうしてエクササイズと深い呼吸がエネルギーを生むのだろう? 食べる量が減るにつれてエネルギーがたくさん湧くなんて、矛盾しているように思えるが、自分自身の身体が、その通りだと証明していた。

一番驚いたのは、酒に対する興味が突然、まるきりなくなってしまったことだ。朝目覚めた時に次の一杯のことを考えなくなったし、夕暮れに一杯やろうとも思わなくなった。アルコールが欲しいという気持ちが、ひとりでに薄れていったのだ。欲望は消え去った。
(「第26章 僕らはすでにヒンドゥー教徒」より)
 
とくにこの生まれて初めて食欲やお酒に対する興味がおさまっていく様子が、
わたし自身、ヨガを続けることで自分の身に起きた驚きの変化のひとつだったので
◆空腹の気持ちよさ(2013年5月6日))、とても共感しました。

食欲や飲酒だけでなく、ヨガは生活における様々な「自制心」を養ってくれます。
(ヨガだけでなく、運動全般に言えると思いますが・・・)

アーサナをすると自分に自制心がある気がして、僕は自制心を保っていられる。身体が柔軟になって、多少なりとも健康でいられるのも、インド時代に減った体重を維持できているのも、みんなアーサナのおかげだ。瞑想の方はどうかといえば、リステリンみたいなもので、やれば心がすっきりして、リラックスして、頭が明瞭になる。
(「第36章 解放」より)
 
人生は選択と決断の連続で、目を覚ましてきちんと起きれるか、何を食べるか、何を身につけるか
といった日常の小さなことから、どんな仕事をするか、どんな人生を送りたいかといった
大きな決断まで、集中力をもって熟考したり、瞬時にベストな判断しなければならない場面も日々
たくさんあります。
そんなときに、一時の感情や欲望に振り回されずに判断できる力、つまり自制心があれば、
物事はぐっとスムースに動き出します。

著者は帰国後もインドで手に入れた人生をバランスよく生きるツール、ヨガ(アーサナと瞑想)を
続けているようです。
それについて、最終章には、とても面白い考察が書かれています。
もし僕が読者の立場だったら、次の質問に嘘偽りなく正直に答えてほしいと思うからだ
ーわずかなストレッチをして、ほんのちょっと静かに座っているだけで、前向きに生き、よくない習慣を減らして、より幸福で、より善い人間になることが本当にできるのか?ー
(「第36章 解放」より)
 
家族とともに過ごした3か月のインド生活と帰国後の生活をおりまぜての、
冷静な分析による回答をぜひ読んでみてくださいね。

このファミリー目線のエッセイは、ヨガが決して日常からかけ離れた特別なものでもなく、
いたずらにスピリチュアルなものでもなく、若い人だけがやれるお洒落なものでもないと
いうことがよくわかって、きっとヨガを生活に取り入れたくなると思います。

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