好きとか、嫌いとか
レッスンを行っている実家のお手洗いにある〈高野山真言宗〉のメッセージカード。
もしかしたら、ご覧になっている方もいらっしゃるかもしれませんね。
レッスン準備でお掃除しながら、その日の気分でめくるのですが、
ずっと、このメッセージの意味がいまひとつしっくりこなくて、登場回数の少ないカードの一枚。
言いたいコトはわかるんです、もちろん。
好き嫌いで判断してばかりいると、気持ちも考えかたも狭量になって、世界が狭まってしまうだろうなとも。
でも、自分が何が好きで、何が苦手かを知っておくことはとても大事なことだとも思うんです。
そうじゃないと日々落ち込んだときカムアップできないし、人生の目的を見失ってしまったとき、自分の好きなコト、やりたかったコトがわからない、気づけないとなかなか出口が見つけにくいことになるんじゃないかなと。
念願かなって鴨長明が〈方丈庵〉を構えた山へ 都から離れたなんともうら寂しい場所でしたが、、、(笑) さすがスーパーミニマリスト |
そうか、この言葉が伝えたいことは、
好き・嫌いの感情で〈判断しない〉〈決めつけない〉
好き・嫌いの感情に〈執着しない〉
ということなんだろうなと。
菜食主義は体が軽くなる! でもこれに執着し過ぎたり、他人の嗜好を判断するのは愚かなコト |
〈好き〉という感情はポジティブなものに思われますが、強くなりすぎるとけっこうヤバい。
「これがあるから幸せ~」という思いは、次第に「これがないと幸せじゃない」に代わってしまいます。
ヨガの朝練しかり、食べ物も、恋愛も、仕事も、家族も、友達も、
人生のあらゆること、なんでも当てはまりますね。
大事なのは〈執着しない〉こと。
「これがなくても大丈夫!」「ほかにも手段をいくつも持っている」こと。
反対に〈嫌い〉という感情は過去に起こったことに影響されている場合が多い。
例えば同じ犬を見ても可愛いと思う人もいれば、怖いと思う人もいて、犬を見て怖いと思う人は、とても小さい時に自分よりも大きな犬が急に現れたり、吠えられたりして怖いという印象が残ってしまったのかもしれません。
他にも、人は死ぬことを怖いと感じるものですが、特に小さい時の方が死に対しての恐怖が大きい。
まだ死んだことがないのに、自然に死を恐れるのは、インドやヨガの哲学では、それは前世の記憶が残っているからだと考えられているのだそう。
そんな風に、嫌いと思うきっかけになった経験を覚えている場合もあれば、何が原因か分からない場合も多い。
なんとなく嫌い、苦手みたいな。
生存が使命の本能としては、危険回避のこの直感もとても大切な能力ともいえますが、、、。
シャバーアサナで疲労回復
ヨガの練習は呼吸法(生)ではじまり、シャバーアサナ(屍)で終わることから、毎レッスンごと、「生まれて、死ぬ」を繰り返す練習だと喩えられることがあります。それは、日常でも同じで、朝起きて夜眠ることは『朝生まれて、夜死ぬ』ことであり、『毎日生まれて、毎日死ぬ』の繰り返しが人生になっていく。
ただ、大切なのは今からの未来なので、〈過去〉については必至で原因探しをしなくていい。
もちろん〈未来〉に起こること対しても心配や妄想をふくらますのではなく、〈今〉を生きる。
今に集中すること、自分の体や心と対話することが〈ヨガの実践〉なのだと。
レッスンの最後のシャヴァーアサナのとき、どんな感じがしますか?
ヨガのアーサナと呼吸で自身の内側に意識を向けたあとは、穏やかな幸せを感じることができます。そういった心の幸せを知ることができれば、物質的なこだわりがどうでも良いものになってきます。
「こうでなくてはいけない」というこだわりが弱まれば、きっと日々のストレスも軽減されるはず。
先生の言葉を借りるなら Yoga heals everything.
ヨガ哲学だけでなく、アーサナ(ポーズ)でも、あ~そうだなぁ、とか、なるほど!という気づきやコツがたくさんあって、とても充実した京都”勝手に”ヨガ合宿となりました。
またレッスンのときにぽつり、ぽつりとお伝えできたらと思っています。
1週間の充電時間、ありがとうございました<(_ _)>
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