【お知らせ】2022年7月のレッスンスケジュール

 

2022年7月のレッスンスケジュールをお知らせします。

はじめてご予約をくださるお客さまへ
金曜夜と土曜レッスンは、新規の方のご予約が承りにくくなっております、すみません<(_ _)>。

定期的に来てくださっている皆さまのご予約をいったん承ってから、空席がある場合は、LINE一斉配信 (⇒ LINE公式アカウント Yoga Olivier)にて7月の空席状況をお知らせいたします(6月末ごろ予定)。

7月第四週目(7/20~23)は、所用のため、レッスンお休みになります。


梅雨晴れの中、アラウンド80歳の両親を誘って、戸隠古道を歩いてきました。

古くから山岳信仰で有名な戸隠山のふもとの宝光社・火ノ御子社・中社・九頭龍社・奥社からなる戸隠神社五社を歩いてめぐること、往復約12km、6時間、歩数計は23,000歩でした。

お世話になった宿坊では、朝晩はまだストーブを焚いてくれるくらい、肌寒さの残る戸隠。
静岡の低山は、若葉も夏の力強さを感じられるほどぐんぐんと成長しているけれど、戸隠の森の中は、まだまだ柔らかな色合いで、生まれたてのようにみずみずしいんです。


宝光社からは神様が通る道という由来の〈神通:かんみち〉をてくてく歩きながら火ノ御子社、中社に向かうのだけれど、鶯のわたりにはじまり、耳に心地よい鳥たちのさえずりが終始止むことがありませんでした。

なるほど、途中に「NHK小鳥の声放送記念碑」というものがあり、昭和8年(1933年)に日本ではじめて野鳥の声を全国に中継したのだとか。

奥社の上に見えるギザギザの山が戸隠山

そして宿坊の図書コーナーでは、懐かしい本に再会しました。

まだ勤め人をしていた頃に読んだ本なので、たぶん、もう10年以上前のこと。
初めてトレッキングシューズを履いたのは、50歳を過ぎてから・・・という一文のある〈人生には森が必要〉という序章は、当時の私には新鮮で、いつかわたしも!と思ったのをよく覚えています。

でも、どんな山のことが書かれていたのかはすっかり忘却の彼方で、夕食前に読んでいたら、最終章は戸隠の森のことで、光野さんが泊まったという宿は、まさにわたしがいるその宿坊だったんです。

めぐりめぐって、こんな偶然ってあるんだなぁと嬉しい驚きでした。

戸隠ならではの蕎麦懐石と山歩きの後の生ビールは最高♪

戸隠の章の最後に書かれていた、神主さんであり、料理人でもある宿坊のご主人と光野さんとのやりとりが、日本人の底力というか、時代の普遍性を見事に言い表していて、再読した今回は、ここがなんともじ~んと響きました。

「そもそも日本人は農耕民族でね、不安定なことが当たり前だったんですよ。雨にも太陽にも気温にも左右されてきた。それでも作物を育て、生き続けてきたんですよね」


 だからこそ、ひとびとは山に祈り、水に感謝し、木々に神を見て、明日への不安を信心と感謝に変えてきた。それが日本古来の信仰の原点。 


 (中略) 

 代々農業を営んで暮らしてきたひとたちの、地に足の着いた姿勢に教えられることが多い。 土に触れ、土と共に生きる人間は強い。それは、不安定こそが生きる基本と知っているからだろう。


 わたしたちはもう長い間、なにかを勘違いしてきたのかもしれない。 

安定を確保し、経済を確保し、それがなければ生きることはできないと信じこんできた。しかし、本来生きるとは、ただ生きる、そういうことではなかろうか。


 明日、作物が実らず、食べるものがなくなろうとも、暮らしに保障がなかったとしても、そのつど知恵を働かせ、気持ちを切り替えて生きていく。

そんな先人の在り方を、もう一度、思い出してみてもいいのではないか。

光野桃 著「森へ行く日」p.121 戸隠森林植物園より)



「もう来年は体力的に無理かもしれない・・」なんてぼやいていた父母ですが、無事歩き終えて、美味しいお蕎麦食べながら「次はどこ歩こうか?」な~んて二人で相談している(;゚Д゚)。

〈無理かも詐欺!?〉に遭った気分。

でも、わたしの半世紀の中では、いちばんの父の日&母の日の贈り物だったかもしれません。

長野県の中でも戸隠はちょっと遠いですが、中部横断自動車道も整備され、運転苦手なわたしでもなんとか・・・(笑)。
歩く装備はもちろん必要ですが、〈熊野古道〉〈七面山〉よりはずっと楽に楽しく歩ける古道です。
〈山歩き旅〉の参考にしていただけたら嬉しいです。

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